◆すみだ郷土文化資料館編-前篇-はコチラ
志布景彩さんは昭和21年~47年の26年間、台東区松葉町(当時)に工房を持っていた。山伏町(当時)とはごく近く、町会役員に知り合いがいたりして近所のよしみで神輿を買いに行ったとしても不思議ではない。(「神輿を買いに行く」ってのも豪快な話やなぁ)
<昭和20年代の志布神輿製作所(
みやこどり 第35号より抜粋)>
左から二基目の神輿が北二町会神輿ととてもよく似ていてドキリとした。屋根の形や鳥居のところの彫刻である。(
宮本卯之助商店編-前篇-にも神輿を買いに行ったときに彫刻に注目した、というエピソードがある。)
肝心の志布景彩さんの神輿の特徴についてである。
みやこどり第35号本文には「志布さんが好んだ型」とか「多く手掛けてい」るという書き方がされている点に注目して北二町会神輿を分析していただいた。
①二重垂木=「〇」
屋根が唐破風(中央が上向き曲線に盛り上がっている)で懸魚(けぎょ:唐破風のところの飾り)があるため、垂木は左右部分のみとなっている。
②二重台輪=「〇」
③三味線型台輪=「〇」
三味線型とは、台輪の角に丸みを持たせた(湾曲した)台輪のこと。
北二町会神輿には志布景彩さんがよく用いた型がいくつも見られた。しかし昭和20年代にはたくさんの神輿製作所があったはずで、上記の特徴も志布景彩さん独特のものという訳でもない。やはり断定は困難である。
逆に志布景彩さん制作ではない、と思われる特徴もいくつか見られた。
[ⅰ]瓔珞の編み方が異なるように見える
瓔珞は志布景彩さんの奥様が編んでいたということで、かなり自信を持っておられたらしい。残された写真を見ると編み方が北二町会神輿のものとは異なるように見えた。
[ⅱ]銘の札がない
後年はご自身制作の神輿には銘の札を必ず立てていた。
ただ、松葉町時代は独立して間もない頃であり次々と仕事も舞い込んでいただろうため、全ての神輿に銘の札を立てていたかはわからない。(北二町会の60数年の間に紛失してしまったかもしれない。)
[ⅲ]ここをこんな風にはしない
宮本卯之助商店編-後編-でも書かれているが「ここをこんな風にはしない」という箇所は、志布景彩さん制作の神輿にも当てはまると考えられるそうである。
以上、すみだ郷土文化資料館の担当の方にも長いお時間をいただき北二町会神輿のルーツを探してみたが、志布景彩さん制作のシロの決定打もクロの決定打も出せなかった。
ご協力いただきまして、ありがとうございました!
ただ今回のルーツ探しでも多くのことを学び、北上野二丁目町会神輿への愛着も深まった。来年の祭礼で神輿を出すのがとても楽しみである。ちょっと早めに出して吹返しや瓔珞などの飾りも磨いてあげたいなー、とも思っている。
次回の記事は。。。気長にお待ちを。
北上野二丁目町会神輿のルーツを探して
すみだ郷土文化資料館編
了
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